FUKUHANA今昔物語
大学祭 History
櫻華祭 History
第12回 櫻華祭
『 ★Over the Top ★ 〜新しい明日へ〜 』
学校名が静岡福祉情報短大へ変わり、初めて行なわれる大イベント。来年度から四年制大学へ生まれ変わるこの短大。学園祭も何も進歩のないまま四年制を迎えることになってしまいます。そこで、”短大としての最後の櫻華祭”に、「今までにない何かを」「自分達にしかできないものを」ということで、外部の大きな力にあまり頼らず自分達で「学校の色」を出していく決意のもと、ビジネス情報学科と介護福祉学科がコラボレーションし”焼津の秋は櫻華祭”と言っていだけるような、これまでになかった新しいスタイルで「市民参加型の地域に根付いた大学祭。皆さまと共につくる櫻華祭」を目指し”焼津の旬”にふれ、学生と地域が協力することで焼津という街の活性化につながるわずかなお手伝いをしたいと考えました。その目標からタイトルにも意味を持たせ、櫻華祭の伝統を大切にしながら、次の未来への架け橋として☆SUTEP UP☆の気持ちを『★Over the Top★』に、これまでにないものを迎える気持ちをサブタイトルの 〜新しい明日へ〜 に込めました。一人ではなくみんなで更なる一歩を踏み出すため、各々の想いや夢願いを託して・・・このテーマにしました。
ゲスト講演 | スペシャル音楽LIVE | 学内探検ツアー | 園児・小学生の展示 | おもちゃ図書館 |
ビンゴ大会 | フットサルPK大会 | グラウンドゴルフ大会 | ペタボード大会 | |
焼津おでん探検隊によるおでんパーティー | 焼津市深層水課協力「駿河湾深層水」を学ぶコーナー | 他模擬店 |
※ゲスト講演:梨元勝(芸能リポーター)
タイムスリップ 〜 あの頃を振り返る 〜
介護福祉学科が新たに併設された翌年、学校名称が変わりました。
今回は、最後の「櫻華祭」となった第12回を振り返ろうと思います。
当時の実行委員長さんへ、あの頃を振り返ってもらいました。
*学校名が「静岡精華短期大学」から「静岡福祉情報短期大学」に変わりましたが、学園祭の名称を変えなかったのは、なぜか?
学校名が変わったとき、学校の方から「学校名が変わったから学園祭の名称を変えても良いよ」という話はありました。
そして、私達が卒業後の4月から「静岡福祉大学」「静岡福祉大学短期大学部」に名称が変わることも知っていました。
変えるなら「静福祭」、変えないのなら「櫻華祭」という選択の中、『私達は、静岡精華短大へ入学したんだ』という全員の強い気持ちが一致していたので、将来的に名称が変わるのなら、精華短大へ入学し学んだものとして、しっかり最後を締めくくり、次へつなげようという想いから、「櫻華祭」という第1回からつづく名称にしました。
*サブタイトルの【〜新しい明日へ〜】という言葉、みなさんの想いが強かったように感じますが・・。
そうですね、初めは【Over The Top】というタイトルだけだったんです。その後、もう少し、意味が明確に伝わる言葉を副タイトルにつけよう、という話になって次につなげる架け橋になりたいという想いと、ステップアップの気持ちを【〜新しい明日へ〜】という言葉に込めました。
*前例のなかった、地域参加型の「櫻華祭」を行ったようですが・・。
最初の質問でお答えしたように、私達が卒業後の4月から静岡福祉大学へ名称が変わることが分かっていたので、今までになかったことをやろうと考えました。
また、一番忙しくなる時期に、介護学生は実習があったので、思うように動けないというリスクもありました。
ですので、それまで行っていた広告取りを止め、限られた予算の中で何が出来るのか・・みんなで試行錯誤しながら案を出し合い、地域参加型の櫻華祭を行うことを決めました。
そこにはもちろん、これから福祉大学として地域に根付いていくのだという私たちからの強いメッセージと学校のことを地域の人たちに知ってほしいという願いがありました。
*介護福祉学科とビジネス情報学科で共通の事をやるのは、大変でしたか?
確かに私達は、介護とビジネスを学んでいましたが、共通項をみつけていくのに時間はあまりかかりませんでしたし、大変というほどではなかったですね。
学科の枠を超えて、自分たちにしかできないことをやろうという一人一人の気持ちが強かったためでしょう。
*今、もう一度学園祭をやるとしたら?
社会人となり10年が経ちました。介護の現場で働く人、ビジネスの場でスキルを磨いている人それぞれだと思います。
もし、同じメンバーで同じようなテーマだったとしても、当時では考えつかなかったようなアイデアがたくさん出るでしょうね。